ヴァッフェントレーガー アルデルト/ラインメタル・ボルジヒ社製試作車 ![]() ヴァッフェントレーガー シュタイアー・ダイムラー・プフ/クルップ社製試作車 ![]() ヴァッフェントレーガー アルデルト/クルップ社製試作車 ![]() |
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+開発
ドイツ陸軍兵器局第6課は1942年に、「ヴァッフェントレーガー」(Waffenträger:武器運搬車)の呼称で、歩兵支援を目的として、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載する自走砲の開発計画に着手した。 ヴァッフェントレーガーの開発は、これまで装甲車両の開発や製作をほとんど行っていなかった各企業が中心となって進められたが、結局ものになるものは無かった。 これは開発を要求した兵器局第6課の仕様が、砲を着脱式として牽引砲としての運用を可能とすることや、各種火砲を選択搭載できることなどを求めたため、各社の案が必然的に複雑かつ高度なものになり、実用化するには問題が多かったことに起因するものであった。 このため、兵器局第4課は要求をより単純なものとするように仕様を改め、1944年2月3日にベルリンにおいて、ヴァッフェントレーガーの開発を担当していた各社の担当者を交えた会議が開かれた。 会議にはエッセンのクルップ社、エーベルスヴァルデのアルデルト社、ラインメタル社の担当者が出席し、この席においてヴァッフェントレーガーに関する新たな要求仕様がまとめられた。 要求仕様は以下のようになっており、この時点においては対戦車戦闘に特化した車両として開発が進められることになった。 (1)既存の車両の車台を流用して設計すること (2)水平射撃高は1,750mmを超えないこと (3)砲の俯仰角は-8~+45度で、+42度以下にはならないこと (4)砲は全周旋回が可能で、どの角度においても-8~+42度の俯仰角で射撃できること (5)砲は対戦車、火力支援双方に供せること このため、対戦車戦闘に用いる倍率10倍、視野角7度の直接照準器と、展望機能付き34式照準器の2種を砲 手席に備えること (6)側面に銃眼を備えること (7)発煙弾発射機を備えること (8)無線機を標準装備すること (9)装甲厚は前面20mm、側面10mm (10)航続距離は140~200km (11)最大速度は整地の場合35km/hで、不整地では30km/h (12)最大接地圧は0.7cm2 (13)最低地上高は450mm (14)乗員は4~5名 (15)弾薬搭載数は50発で、20発を即用弾としてラックに収めること 弾薬の全長は1,250mmで直径146mm、重量23kg (16)搭載する砲は71口径8.8cm加農砲で、生産中のPaK43もしくはKwK43のコンポーネントを流用すること 砲には防盾を装着しクルップ、ラインメタル両社より砲のコンポーネントが供給される ヴァッフェントレーガーの開発に際しては、クルップ社はオーストリア・シュタイアーのシュタイアー・ダイムラー・プフ社とアルデルト社、ラインメタル社はアルデルト社とそれぞれ協力して設計を進めることも決められた。 これは、車台をアルデルトとシュタイアーの両社がそれぞれ独自に開発し、残る両社は砲を担当するというもので、砲の搭載についてもアドバイスを行うということである。 |
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+アルデルト社/ラインメタル・ボルジヒ社のヴァッフェントレーガー
アルデルト社は、自力走行と射撃が可能なヴァッフェントレーガーの試作車体4両を数週間で製作し、主砲はラインメタル社が担当することとして作業が進められた。 まず木製の模型が製作され、次いで試作車が完成して1944年4月27~28日にかけて、ヒラースレーベンにおいて各種試験に供された。 この試験においては、車両に砲を搭載した状態での機能試験と、射撃を含んだ走行性能と安定性、そして走行能力の確認が検証されたが、部品の一部がまだ取り付けられておらず、操縦手を除く乗員の座席や照準器ホルダー、洗桿などが未装着の状態で試験が実施された。 4月27日に行われた試験においては弾薬129発を射撃したものの、電気式発火装置のサーキットが取り付けられていなかったために、俯仰角は限定されたものだったといわれる。 この際に用いられた弾種の大半は徹甲弾であり、直接射撃、支援射撃共に問題無く、砲手は曳光弾の航跡を目で追うことができたといわれるので、安定性なども問題無かったようである。 しかし、129発目の射撃後に砲口制退器の固定リングが破損したため、それ以上の射撃は中止された。 また4月27日に20km/h、28日には25km/hの速度で走行試験を実施したが、顕著な問題は無かった。 4月28日には新しい砲口制退器を装着して再び射撃試験が行われ、134発が射撃された。 この日は強い風が吹いており最大射程は1,100mまでとされたが、風が砲身に影響して約3ミルの狂いが4回生じ、旋回装置にも悪影響を与えたと報告書では記している。 さらには片側の走行装置と履帯を、木製ブロックの上に載せた状態での射撃も行われたが、これは砲を旋回した際の重量移動変化が、車体に与える影響を確認するためのものであった。 射撃の結果は良好で、弾丸10発は幅70cm、高さ60cmの範囲に集中したといわれる。 射撃試験は成功裏の内に終了したものの、不整地走行の際に車体が沈み込むことが問題として指摘された。 また砲を真横に向けて射撃した際には、車体が横滑りして履帯が破損したため試験は中断され、牽引して引き上げられて修理が行われている。 この試験の結果は以下のように報告された。 (1)全ての装備は完全ではない 全周における射撃は良好だったが、砲を後方に向けた場合には若干安定性に不足が目立った (2)他の8.8cm砲搭載車と比べて射撃精度は劣っていない 弾丸の散布角は小さく、悪天候でも問題は無かった (3)曳光弾は、目視で約1,200mまで追うことができた (4)射撃に際して砲手は、目と照準器の位置関係を調節する必要は生じなかった (5)車体上部構造との干渉により俯仰角には限界があり、電気式発火装置は俯仰角がこの位置に入った場合に は、自動的に射撃を不可能としてしまった (6)8.8cm砲の旋回機構は固定に難があり、より精度の高いクラッチ機構を導入すべきだ (7)砲の予備部品を、砲もしくは車体に装着すべし (8)不整地における砲の振動が大きく、側部にも固定部を新設すべし (9)サスペンションが柔らか過ぎて、停止した際に細かい上下動が発生し、砲手の照準を妨げる (10)車長と操縦手の連絡手段が無い 信号装置か伝声管を備えるべし (11)車体後部の牽引フック掛けは使い難く、もっと適正な位置に移す必要がある (12)燃料タンクの注入口は位置が悪く、注入する際には砲を横に向ける必要があり、防盾の前方に位置を変える べきだ また走行中に履帯が破損する事故が発生しており、本車にシュタイアー社製のRSO(Raupenschlepper Ost:東 部用装軌式牽引車)の履帯を流用するのは問題だ この試作車についての詳細は明らかにはされておらず、完成した車両の写真から判断するしか手立ては無い。 車台は独自のものが製作されたが、サスペンションや起動輪、誘導輪、転輪、上部支持輪は、チェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)が開発したヘッツァー駆逐戦車のものが流用された。 車台右前部にオフセットして置かれたエンジンには38(t)戦車シリーズと同様、プラハのプラガ社製のEPA 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力125hp)が用いられ、最前部に位置する変速・操向機も38(t)戦車と同様、イギリスのSCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)からライセンス生産権を得てプラガ社が独自に改良を加えた、前進5段/後進1段のプラガ・ウィルソン変速・操向機が流用された。 ラジエイターはエンジンの前方に配され、その部分には四角形のグリルが設けられていた。 さらに車体最前端部には、左右に折り畳み式のトラヴェリング・クランプが設けられて、左右から挟み込まれる形で砲身が固定された。 また操縦手席は車台前部左側に配され、前面と側面に装甲板が設けられたものの、上面はオープントップとされた。 また前面装甲板には、スリットが開けられたスライド式視察装甲板と防弾ガラスが設けられていたが、左右の視界は一切無く、操縦手は頭を上げて車外を視認する必要があった。 機関室後方はフラットな荷台とされ、クルップ社製の71口径8.8cm対戦車砲PaK43が置かれ、砲の周囲には車体後端までに達するオープントップの砲塔が配された。 砲塔の装甲厚は不明だが、おそらく全周10mmと思われる。 その後、1944年9月2日には完成したシュタイアー/クルップ、アルデルト/クルップのヴァッフェントレーガー試作車と共に、アドルフ・ヒトラー総統の前で走行展示するために搬送の用意が命じられ、10月9日付で準備完了との報告が出されたものの、それ以降の記述は無い。 より簡易かつ低コストのアルデルト/クルップの試作車が選択されたために、それ以上の段階に進むこと無く終わったのであろう。 |
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+シュタイアー・ダイムラー・ププ社/クルップ社のヴァッフェントレーガー
1944年2月4日に、シュタイアー社においてクルップ、ラインメタル両社と兵器局第4課、第6課の関係者による会議が開かれ、兵器局第4課のヴェールマン大佐が前日にアルデルト社に対して説明した、8.8cm砲搭載のヴァッフェントレーガー計画についての検討が行われた。 まず主砲にはPaK43/41(ラインメタル社製)、PaK43とPaK43/3(クルップ社製)の搭載が検討されたが、PaK43/41は生産に大きな遅延が生じていたために無理と判断された。 そして最終的にシュタイアー社が、車載型KwK43を砲架および駐退機構ごと搭載可能な車台を開発することが決まった。 車両の重量は砲を搭載した状態で4.5tを限度とし、砲は最低でも左右に70度、できるならば90度ずつの射角を備えることが求められた。 これに従いシュタイアー社は試作車2両を受注したが、これは兵器局第4課と第6課がそれぞれ1両ずつの発注であった。 この際に兵器局第4課は実物大木製模型の製作を、第6課は10hp/tの出力を発揮する水平対向12気筒ガソリン・エンジンの搭載をそれぞれ求め、併せてクルップ社に対しても、ヴァッフェントレーガーに搭載するKwK43の実物大木製模型1門を発注し、加えて試作車に搭載する砲1門と、弾薬30発を早急に納入することも求められた。 1944年2月29日にはベルリンにおいて、クルップとシュタイアー両社、兵器局第4課、第6課の関係者による会合が開かれて、細部の仕様が決定された。 この際に決定された仕様は、以下の通りである。 主砲:クルップ社製の71口径8.8cm戦車砲KwK43を、砲架と俯仰機構、平衡器、防危板などそのまま用いる 車体:兵器局第6課の要求により開発が進められていた、水平対向12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力140hp)が 選ばれたが、このエンジンはまだ試験中の段階であった 変速・操向機やサスペンションはRSOのものをベースに、強化を加えたものを搭載する また兵器局第4課は、ヘッツァー駆逐戦車に用いられているプラガ社製のAC2800 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンの改良型(出力180hp)の搭載を推したが、これは、すでに生産が進められているエンジンを母体とすることで、早急な実用化が可能ということが背景にあった。 一方兵器局第6課は、ケルンのKHD社製の8気筒エンジン(出力140hp)もしくは、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHLエンジンの搭載も提案したが、いずれもまだ完全なものではなかった。 1944年3月10日にシュタイアー社は、サスペンションを含む走行関係の基本図を提出し、併せて組み立ての準備が整ったとの報告を出したが、これはベルリン・オーバーシャイネヴァイデのビューシンクNAG社製の、sWS(Schwerer Wehrmachtsschlepper:重国防軍牽引車)のコンポーネントを流用したものであった。 また兵器局第6課は、RSOの操向機ではヴァッフェントレーガーの重量に適応するのは難しいとの提案を出し、併せてトランスファーケースを省いた、より単純な4速変速機の搭載を提案している。 同様に履帯はRSOのものではなく、IV号戦車のものを装着することも提案された。 そして3月20日には木製実物大模型が完成し、4月1~10日にかけて審査に供され、4月20日にはヒトラーに展示された。 これに先立つ2月24日付のクルップ社の覚え書きでは、兵器局第4課とシュタイアー社に提出した主砲と砲塔のマウント図について、砲の俯仰角-8~+35度で、全周旋回が可能。 砲を前方に向けた場合は最大55度の仰角を取ることができ、旋回速度は2種の選択が可能だとしている。 シュタイアー社はクルップ社に対して、1944年6月までに完成した砲と砲塔の提供を求めたが、5月には完成してシュタイアー社に送られた。 これにより5月9日付の兵器局第4課報告書では、シュタイアー社の試作車は6月初めには完成し、試験に供することができると記されていた。 このような紆余曲折を経ながらも、1944年6月末もしくは7月初めには試作車が完成した。 この試作車は、エンジンとして暫定的にRSOのものが流用され、起動輪と誘導輪もRSOのものが用いられたが、片側4個配置の転輪は全鋼製(おそらくゴムは内蔵されていないものと思われる)が使用されていた。 機関系は車体前方に配置され、エンジンの左右にそれぞれ独立して箱型の突起部が設けられていたが、おそらく左側が操縦手席と思われる。 機関室後方はフラットな形状とされ、車体後面はパンター戦車のように後方に大きく傾斜した、近代的なスタイルにまとめられていた。 砲塔は6角形のコンパクトなもので、砲塔の上部こそオープントップだが背も低く、前面投影面積も小さく、試作された3種類のヴァッフェントレーガーの中ではまとまりは最も良かった。 ただし、製造コストや製作に要する期間もこれまた最大で、メッペン砲兵試験場における射撃試験までが実施されたもののその報告書は無く、1944年9月2日付で兵器局は、ヒトラーの前で走行展示するために搬送準備する旨命令を出し、10月9日には準備が整ったとの報告が出されたものの、それを最後に本車に関する記述は姿を消している。 おそらくそれ以上の段階に進むこと無く、計画は破棄されたのであろう。 |
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+アルデルト社/クルップ社のヴァッフェントレーガー
ヴァッフェントレーガーの試作車を完成させた直後の1944年4月19日、クルップ、アルデルト両社の担当者が出席して、ヴァッフェントレーガー第2次試作に関する会議が行われた。 その内容は明らかにはされていないが、これに先立つ4月17日にはクルップ社に対して、アルデルト社と協力して開発を進めることが求められており、4月19日の会合でアルデルト社には試作車1両、クルップ社にはPaK43を原型とする試作砲1門がそれぞれ発注された。 この試作車は、すでにアルデルト社が製作を終えたばかりの試作車よりも、砲の搭載をより単純なものとすることが求められており、アルデルト社ではこの仕様を生産型にフィードバックさせることを考えていたという。 さらに期日は不明だが、その後試作車1両が追加発注されている。 1944年5月半ば頃には試作車が完成し、5月30日にツォッセンのクンマースドルフ車両試験場において公開試験が行われ、先行生産型0ゼーリエとしてまず100両が発注された。 この時点において、シュタイアー/クルップの手になるヴァッフェントレーガーの兵器優先度リストの順位が35位であったのに対し、アルデルト/クルップがまとめた車両は7位と高く評価されていたので、この発注も当然であった。 なおこの100両の発注数には、弾薬運搬車18両が含まれていた。 試作車の車台は、アルデルト社がラインメタル社と協力して開発した試作車と酷似しており、機関系のレイアウトも同一であったが、車体前部の形状は改設計が行われ、より生産性の高いスタイルに改められた。 また最前部右側に設けられたグリルは、前後長がやや短縮された独自のものが用いられている。 車体前部左側に位置する操縦室はオープントップとされ、前方にヒンジを備えた起倒式のスリット付き装甲板が設けられ、戦闘時にはこれを後方に倒すことで操縦室部分に蓋をする形とされた。 車体中央部の左右には燃料タンクが収められていたが、その容量は不明である。 エンジンは、マイバッハ社製のHL42 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力100hp)が採用され、変速機は、ZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のKb40D変速機(前進4段/後進1段)、操向機は、3tハーフトラック(Sd.Kfz.11)のものがそれぞれ用いられた。 サスペンションと転輪はヘッツァー駆逐戦車のものが流用されたが、当時の状況を反映して、転輪はゴム縁部分まで鋼製としたものに変更されていた。 また履帯と起動輪はRSOから流用されたが、誘導輪は新たに設計したものが使われ、路上最大速度は21km/hとなった。 車体最後部には弾薬庫が設けられており、左右それぞれ16発(4発×4段)ずつの弾薬が収められた。 弾薬庫の前方には平板式の台座があり、この上にPaK43が砲架ごと載せられた。 砲は全周旋回が可能だったが、前方に向けた場合の俯仰角は-8~+25度(試作時は+40度)、後方に向けた場合は-8~+15度、左右では-8~+40度と、砲の位置により異なっていた。 水平射撃高は1,750mmで、照準器には倍率3倍、視野角8度の43式ZE直接照準器と、展望式照準機能を備えた38式照準器が用いられた。 砲手側の防盾裏側に取り付けられる射程表は色で示されており、緑は徹甲弾で射程200~2,400m、赤は榴弾で射程200~4,000m、黄は成形炸薬弾で射程200~2,500mとされた。 車体前部には、走行時に砲身を固定する左右挟み込み式のトラヴェリング・クランプが設けられ、車体後面には、後方に倒して走行時に乗員の足置きとなる装甲板が取り付けられていた。 主砲には大きな防盾が取り付けられ、基本的には牽引型PaK43のものが流用されていたが、左右の折り畳み部分はさらに大型化されて完全に砲手を隠すことができ、こと防御の面では牽引型を上回っていた。 なお、防盾の裏側には左側に照準器の開口部が設けられ、右側には6発の弾薬取り付けラックを備えていたのが牽引型との相違点である。 乗員は操縦手、砲手、装填手2名の計4名だが、必要に応じて車長が搭乗することもあった。 走行試験の結果は、砂地での走行に難があったことを除けば良好で、35度の急坂を登坂することもできた。 試験の後に兵器局第4課は、防盾左側の折り畳み部分を溶接の固定式に改め、操縦室から車外に出ること無くトラヴェリング・クランプを外せるよう改良を求めたのに加え、以下の改修部分を伝えた。 (1)クルップ社はアルデルト社に、左側の照準器スライド装甲板を大型化した図面を送ること (2)クルップ社はアルデルト社に、砲の俯仰角に応じた後座量の表を送ること (3)クルップ社はアルデルト社に、砲手席の位置変更図面を送付すること (4)クルップ社はアルデルト社に、10両分の鋼製転輪80枚を製作して送ること (5)アルデルト社はクルップ社に、旋回と俯仰の制限域を拡大できるように資料を送付すること 1944年7月5日にはアルデルト、クルップ両社と、兵器局第4課の関係者による会議が行われ、この席でクルップ社には電気式射撃回路に関する改良が求められ、同様にアルデルト社には補助トラヴェリング・ロックの新設と、座席の改良などが命じられた。 7月31日には兵器局検査部より、生産スケジュールが伝えられた。 これによると8月には16両、9月に33両、10月に33両のヴァッフェントレーガーを生産し、同様に弾薬運搬車は8月に4両、9月と10月にそれぞれ7両を生産することとされた。 10月6日付の報告書では同月末に20両が完成するとしており、さらに10月16日付報告書では早急に100両を完成すべしとされていた。 しかしこれは希望的観測にしか過ぎず、12月12日に開かれた兵器開発および生産に関する会議の席において、アルデルト社の近況が報告された。 これによると最初の生産型10両は12月末に、次いで1945年1月15日に10両の引き渡しを予定しており、当初の計画から遅延が生じたのは、サスペンションなどのパーツが供給されなかったことによるものだと言い訳をしている。 しかし1945年1月9日に開かれた会議における報告では、わずか2両の生産型が完成しただけで、1月15日までにはさらに18両が完成するとされていた。 資料が散逸しているためか、アルデルト/クルップのヴァッフェントレーガーは100両の生産が予定されながらも、実際の生産数は現在に至るまで藪の中となっている。 ただし写真などで判断する限り、これまで定説となっていた試作車2両と生産型1両の計3両というのは少な過ぎで、発注された全車100両とはいえないまでも、ある程度(少なくとも試作車以外に9両が完成したことは間違いない)は完成したものと思われる。 |
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+部隊配備
1944年11月1日付の戦力定数指標(K.St.N.)430において、PaK43搭載自走車両(特定の呼称は挙げられていないが、ヴァッフェントレーガーを指すものと思われる)は、6両で1個中隊を編制するとされた。 1945年2月16日、アルデルト社にH.Gr.ヴェッシェル司令官(階級は不明)が訪れ、戦車駆逐警戒中隊エーベルスヴァルデ新編に協力するように求めた。 ドイツ陸軍の中尉でもあった社長のギュンター・アルデルト工学博士は快くこれを受諾し、完成していた7両のヴァッフェントレーガーを提供した。 そしてアルデルト中尉に率いられた、ヴァイクセル軍集団より抽出された同中隊の隊員たちは、エーベルスヴァルデ地区においてソ連軍との戦闘に投入されたが、その詳細は不明である。 この戦闘に投入されたヴァッフェントレーガーの内1両はソ連軍に鹵獲され、唯一の現存車両として現在、モスクワ郊外のクビンカ戦車博物館に展示されている。 ヴァッフェントレーガーは他にも3両が納入され、ベルリン防衛部隊で使用されていたといわれており、その時のものと思われる写真が残っている。 |
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<参考文献> ・「グランドパワー2008年1月号 ドイツ軍の8.8cm対戦車自走砲 ヴァッヘントレーガー」 後藤仁 著 ガリレオ出 版 ・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.4 突撃砲/駆逐戦車/自走砲」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版 ・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版 ・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版 ・「パンツァー2004年9月号 ドイツ火砲運搬車物語(2) ヴァッフェン・トレーガー」 稲田美秋 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2024年10月号 ドイツの未成戦車・計画戦車」 宮永忠将 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2024年11月号 ペリスコープ」 アルゴノート社 ・「パンツァー2018年2月号 KUBINKA 2017 (1)」 布留川司 著 アルゴノート社 ・「戦闘車輌大百科」 アルゴノート社 ・「ジャーマンタンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「WWIIドイツ装甲戦闘車両総集」 広田厚司 著 潮書房光人新社 ・「世界の戦車パーフェクトBOOK 決定版」 コスミック出版 |
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